写真で見る金日成バッヂの佩用例

 実際、金日成バッヂはどのようにつけるのが正しいだろうか。また、いつ、どのような人に、どのようなバッヂが使われているのか。
 それを検証するため、写真集に掲載されたバッヂの使用例をいくつかあげてみよう。動かぬ証拠をもとに、あらぬ妄言を退けようとするものである。

 ここに掲載した写真は、社会階級とバッヂの種類には厳密な関係がないのではないかということを強く示唆しているように思われる(全くない、とまでは言わないまでも)。どうも、金日成バッヂについては、北朝鮮のイメージに引きずられて、いろいろなことが大げさに言われすぎているのではないかという気がしてならない。
 それにしても、改めて眺めていると、中国の文革期毛沢東バッヂと比べると、みなきちんと佩用しているな、という印象は持った。民族的性格の違いにもよるのかも知れないが。

 まずは、金正日のバッヂから見てみよう。
 
 金正日がつけているのは党旗型金日成バッヂ。どうやら人民服の肖像のように見える。
 
小型の円型章。肖像は洋服である。


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拡大図
1981年。「工場を視察する金日成」。
金日成を取り巻く人々は、みな“人民服”を着ている。
胸ポケットの数センチにバッヂが付けられている。バッヂの型は様々だが、ポケット蓋の中央より、よりやや身体の中央に近い位置につけられているのがわかる。
余談ながら、中国の毛バッヂのつけかたも同様である。

A

B
1972年6月。金日成の農場視察に随行している人の写真。いかにも実直な農民らしい風貌が好ましい。胸につけているのは四角のやや大きなバッヂ。「1972年9月」という時期から、現行の金日成バッヂのハシリといって良いだろう。
余談ながら、右にあげた金日成の写真と比べるといかにもペラペラな感じで、金日成の服の仕立ての良さをうかがい知ることができる。
1982年。農場の収穫物を見る金日成。
メモをとる背後の男性の胸に党旗型バッヂが見えるが、襟に堂々とついているのが分かる。
「首領さまがお酔いになるから襟につけるのは不可」などという妄言を否定する何よりの証拠である。

C
1972年9月。人民学校を訪れた金日成。
背後の大人たちは、やはり大きめの四角いバッヂをつけている。
子供たちのバッヂも大きな円型のものである。本サイトでも紹介しているプラスティックバッヂと同一のものであろうか?いずれにせよ、撮影時期から、これも現行バッヂの初期型と言うことができよう。
バッヂの肖像は、金日成の横顔のようだ。
肖像下には月桂樹の飾り状のものが見える。

D
1977年4月。学校で子供の学習状況を訪ねる金日成。
右の無邪気な子供も、心配げにその子をのぞき込む背後の男性も、バッヂは同じようである。飾りのない円型バッヂである。
左写真の拡大。

E
1979年。迎春の集いに参加した金日成。
左右に付き添う子供も化粧をしているところを見ると、イベント参加者なのであろうか。
2人の子供のバッヂは同じようだ。
女の子が手にしている赤いビニール表紙の本はなんだろう??
左写真(男の子)バッヂの拡大。
金日成肖像+月桂樹+右下に万景台の金日成生家か。

F
1976年4月。現地指導の途中で出会った労働英雄との記念写真。
金日成に腕をとられた男性の緊張ぶりが伝わるようなショットだ。ポーズをとる金日成にもぎこちなさが見えてほほえましい。
右写真拡大。
Eで紹介したバッヂときわめてよく似ている。芸を披露する子供も、労働英雄も同じバッヂをつけているのか。・・・
詳細は不明ながら、階級ごとにバッヂの種類が厳格に定められている、という説の信憑性を疑わせるにたる写真ではないだろうか。

本サイトの見解としては、バッヂの種類と階級との関係は、それほど密接ではない、というものである。

G
1974年12月。万景台革命学院を訪れた金日成。金日成も子供たちから贈られたのだろうか、赤いスカーフをしている。
後ろの方には赤いスカーフをした黒人の訪問者が見える。革命学院とは軍事学校なのだろうか?
注目したいのは、軍装の少年たちのバッヂである。
向かって左の少年のバッヂは変哲のない円型の小型バッヂだが、右の少年のやや大きなそれは、5角星型のバッヂだ。
どうやら、ただのバッヂではなく、「金日成少年栄誉賞」のようである。学習や生活態度、思想などが優れた模範少年に贈られる特別のものである。

H
1972年3月。女性海岸砲兵中隊を訪れた金日成。
談笑する女性兵士の胸に、大きめの円型バッヂが輝く。
左の拡大。
Cのバッヂによく似ているように見えるが・・・
襟章の「×」印のような徽章は、砲兵の兵科章であろう。
(2つの大砲が交叉したデザイン)