〜読者からの投稿〜 「金バッジにまつわるお話」について
先日、D.M.Z.氏(ハンドルネーム)という方からメールで情報提供していただいた。この場を借りて改めてお礼申し上げます。
さて、このサイトではさまざまな角度から金日成バッヂの実態について考察を行っているが、実は大きく欠落しているのが、北朝鮮の人々からの直接の情報である。
私の手元に転がっているバッヂは、北朝鮮社会から切り離され、いわば「死んだ」存在であり、一方北朝鮮で人々の胸に光っているバッヂは「生きている」存在といえる。たとえば、いくら詳細な解剖調査を行ったとしても、生きて活動する姿を知らずして、対象を理解したとはいえまい。その意味で、貴重な情報を寄せていただいたと思っている。
今回頂戴したメールは、D.M.Z.氏が直接北朝鮮貨物船員との金日成バッヂについての交わした話の内容などが記載されており、直接彼らと言葉を交わした当事者ならではのナマな体験談が、大変興味深かった。未知の金日成バッヂについて、好奇心を持って船員たちから情報を聞き出そうとする姿には好感が持てる。実に、好奇心こそ人間の美徳である。
投稿者の了解を得て、ここに全文を紹介する。なお、(注)は、こちらで付けた。
続編も期待しています。
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「金バッジにまつわるお話」 投稿者 D.M.Z. 私が金バッジに興味を持ちだしたのは、かれこれ5年程さかのぼる平成10年頃でした。
3. 忠誠の証 |
〜埼玉県革命委員会の注釈〜
注1 「「金日成バッジ」を日本船の乗組員に飴でも配るように渡していたことがあった」
このような話は寡聞にして知らなかった。昔は鷹揚だったようだ。なお、中国では文化大革命期間、訪中した外国人に記念品としてよく毛沢東バッヂを配っていたものである。北朝鮮でも、昔は同様にバッヂがおみやげ品的に配られていたのであろう。「飴でも配るように」という形容はちょっと愉快。でもひどい、捨てちゃったのか・・・。
注2 「平成11年・・・「親子バッジ」をつけており・・・」
平成11年に、初めて金親子バッジの登場が確認されたことに注目したい。ただ、このことと北朝鮮の政治的環境の変化を直接結びつけるのは短絡的過ぎるかもしれない。
注3 「撮った写真は現像して1枚よこせ」
鎖国的体制下にあって、外国に渡る人ならではの緊張感を感じる。写真が意図しない形で外国人に利用されたりして、北朝鮮当局から責任を問われることを懸念したのであろうか。しかし、熱意に負けて渋々ながら撮影に応じてくれる様子を想像すると、ちょっと微笑ましくもある。
注4 「他の肖像徽章と全く同じで特に意味はない」
案外、そのとおりかもしれない・・・と思わせる返答である。数ある金バッヂのパターンに過ぎず、いちいち意味など問われても説明のしようがないのかもしれない。あるいは、「外国人には説明してもわかるまい」と思ったものか。
注5 「偉大な首領様と将軍様に忠誠を誓えるか。誓えるなら(バッジを)与える」
確かに、「忠誠を誓えるか!」などと真っ正面から言われたら、私でもびびる(笑)。D.M.Z.氏と同様、「考えておく」としか答えようがない。
注6 「船長から、「これは肖像徽章という」と怒られ・・・」
「金日成」と個人名を、敬称もなしに呼ぶことは北朝鮮ではありえまい。しかし、そのことで日本にいる日本人を怒っても仕方ないような気もするが、彼らは公的な存在として来日しているのであり、いわば共和国国旗を背負った存在と解すべきなのだろう。
なお、別のページにも書いたが、中国語では、人物の肖像入りのバッヂはすべて「像章」という。まさに肖像徽章の意である。単に「像章」といえば、中国人は毛沢東バッヂを連想するが、本来は誰の肖像であろうと肖像入りバッヂはすべて「像章」と呼ばれる。だから、毛沢東バッヂも正確には「毛主席像章」という。一方北朝鮮では、どうやら「肖像徽章」といえばすべて「金日成(金正日)バッヂ」を限定する呼び方として用いられているようである。
注7 「種類や形」
北朝鮮人に聞いても「わからない」という回答しかないという。私見では、これは必ずしもごまかそうという意図ではないように思われる。意味があったとしても、彼らにとっても明確に答えようがないのだろう。もともと明確には意味づけされていない可能性が強い。