金正日肖像画の撤去について・・・どうなる肖像バッジ?
2005年が明けても北朝鮮問題はまったく相変わらずとしか言うほかない。昨年末、気になるニュースが世界中を巡った。北朝鮮ウオッチャーとしては無視できない問題でもあり、新年に当たってちょっと取り上げておきたいと思う。
まず、はじめに報じたのはロシアのタス通信だった。
「平壌発のロシア・タス通信は16日、北朝鮮の政府機関で最近になって金正日総書記の肖像画の撤去作業が始まったと報じた。韓国政府関係者は情報の精査に入っているが、これまでのところ異変の確認には至っていないもよう。
同通信は、平壌駐在の外交官が北朝鮮外務省主催で最近、開かれたレセプションなどで人民文化宮殿にこれまで掲げられていた金正日総書記の肖像画が消えたことを挙げ、「現在の指導者の肖像画を撤去するよう秘密指示が全土に出された」との情報を指摘したとしている。同宮殿には故金日成主席の肖像画だけが残っているという。」(2004年11月17日、産経新聞)
はじめにこのニュースを聞いたとき、ハッキリいって「ヨタ話か?」と思ったことを告白しておく。が、どうもこれが無視できない情報であることがすぐにわかった。
「平壌に駐在する他国の外交官は平壌市内の至る所に金総書記の肖像画がかけられており、文化宮殿で肖像画が撤去されたのは、おそらく修理や清掃、または新しい肖像画に取り返るための一時的措置だろうとしている。」(11月19日、朝鮮日報)
「故主席の肖像画付け替えも 北朝鮮、個人崇拝抑制か
【北京18日共同】北朝鮮の事情に詳しい複数の消息筋は18日、平壌で最近、故金日成主席の肖像画を、1994年の死去後から使用されている「偉大な首領、金日成同志は永遠にわれわれとともにいらっしゃいます」というスローガン付きの肖像画に付け替える動きがあると明らかにした。
統一的な付け替えかどうかは不明だが、金正日総書記の肖像画が一部で撤去されたとの情報と関連し、個人崇拝色が強い肖像画の掲示を、故金主席だけにとどめようとしている可能性もある。」(11月18日、共同通信)
報道を見る限り、北朝鮮全土から一斉に金正日肖像画姿を消したということではないらしい。一部の施設では撤去が行われたことは確実だが、依然として撤去されていない例も確認されており、相反する情報が、北朝鮮ウオッチャーの混乱を招いた。
また、肖像撤去報道に対する北朝鮮外交当局の反応は(例によって)にべもないものだった。
「金総書記の肖像画「撤去説」 北外務省が一蹴
北朝鮮外務省官吏は19日、北朝鮮の金正日総書記の肖像画が公共機関や学校から撤去され始めたという一部外信報道は「根拠のない捏造」と一蹴した。
北朝鮮のリ・ギョンソン外務省報道局副局長は「そうしたことは過去にもなく今も起きないだろう」とし、「そうした主張は朝鮮民主主義人民共和国を転覆しようという米国とその付属国の挑発」と述べた。」(11月19日、朝鮮日報)
「米国とその付属国」という表現がとりわけ素晴らしい(笑)。
さて、一部にせよ肖像撤去が事実である以上、それは何を意味しているのかが問題だ。北朝鮮関係者の話から、どうやら金正日総書記自身の指示であることは確実のように見える。
「金総書記が撤去指示か 聯合ニュースが報道
【ソウル18日共同】韓国の通信社、聯合ニュースは18日、北朝鮮を脱出して昨年末に韓国入りした元北朝鮮外交官の話として、外国にある北朝鮮公館で昨年初め、公館内の金正日総書記の肖像画を外すよう総書記から直接の指示が下されていたと報じた。
元外交官は「(自分が勤務していた)公館では昨年初めに『肖像画を外し、家で家宝として保管せよ』との金総書記の指示が伝えられた」と説明。金総書記の直接の指示だったが「幹部は恐れ多くて受け入れるのが困難なため、最近まで肖像画は掲げられたままだったようだ」と述べた。
当時、肖像画撤去の指示の理由などは説明されなかったという。」(11月19日、共同通信)
外してうちで家宝にしろ、という指示もなかなかスゴイが、焼き捨てるわけにもいかない以上、そうとしか言いようもないかもしれない。
最高指導者の肖像画を外すことは、最高指導者の指示以外では不可能なことは言うまでもないだろう。しかし、指示されたほうも、そう言われたとしても「じゃすぐ外そう」というわけにもいきにくいことは容易に察せられる。ヘタをすれば指導者への忠誠心を疑われる可能性がある。止むに止まれぬ忠誠心の発露として、どうしても私たちは総書記の肖像を掲げさせていただきたいのです、と表現することが体制に順応する術というものだろう。各個人や組織が色々な理由を持ち出しては肖像掲示継続を主張するため、スムーズに徹底することは困難なのではないか。ナニワ節的な理由で、最高指導者への忠誠心を盾に抵抗されては、当局もそれでも外せとは言いにくいはずだ。総書記自身の指示にもかかわらず、撤去がごく一部の施設に限られているのはそのような事情によるのではないかと推測される。
それでは、なぜ肖像を撤去する必要があるのか。
「(韓国政府の)関係者は「肖像画の撤去は金正日権力の変化や個人崇拝政策の変更というより、北朝鮮の個人崇拝に対する国際社会の冷たい視線を紛らわすための戦術的変化と見るべき」とし、「金総書記は2002年、日本の小泉純一郎首相との首脳会談を控えては、日本の総連系学校に肖像画を下ろすよう指示している」と説明した。」(11月18日、朝鮮日報)
北朝鮮の体制に何か深刻なトラブルが生じていると見たがる向きもあるが、この問題に関して言えば、行き過ぎた個人崇拝が海外の反発を招くことを憂慮したのであろう。現に、金正日の行動や軍・党中央の動きにも目立った変化は見られていないのが何よりの証拠である。
北朝鮮の政治体制に外国が批判的であることを、金総書記は十分知っている。このあたりの彼の判断は極めて冷静だ。そのため、誰が見ても一目瞭然な肖像掲示をやめたほうが得策であると判断したのだ。
ただ、すでに故人であり、建国の父である金日成については、北朝鮮のシンボルとして肖像の掲示を継続する。これは諸外国でも建国の父を肖像として掲げることが一般的である以上、問題はないはずである。また、金正日は金日成の実子であり、政治的にも金日成の権威と権力はすでに完全に継承され、今や一心同体であるから、表面上金正日の肖像が消えても、実質的影響はほとんどないはずである。今後も掲げられていく金日成肖像には、ピッタリと金正日が貼り付いているわけだから。
金正日肖像撤去のニュースの次は、金正日の呼称について変化について報じられた。
「北のメディア、「敬愛する指導者」を省略
北朝鮮官営のメディアが17日、北朝鮮の指導者 金正日(キム・ジョンイル)総書記に常につけていた「敬愛する指導者」という修飾語を省略したと、北朝鮮放送と通信などを専門に聴取する日本のラヂオプレスが報じた。
北朝鮮の中央放送と朝鮮中央通信およびその他のメディアは、金総書記を「朝鮮労働党総秘書、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官」と呼称したと、ラヂオプレスは伝えた。」(11月18日、朝鮮日報)
これも、前述の「対外的配慮」の一環であろう。しかし、総書記肖像がいまだにあちこちが掲げられているところを見ると、一般的の北朝鮮人は「偉大な指導者」だのなんだのと敬称をつけて呼んでいるのだろうな。
更に続いて、こんな報道が私を驚かせた。
「肖像画に続き「金正日バッジ」も消える
北朝鮮の公共場所から金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の肖像画が撤去されたのに続き、金委員長の顔が入ったバッジも消えていると、政府当局者が24日明らかにした。
当局者は「最近、海外公館や対外貿易従事者、外国人案内担当者らが、金正日バッジを着用していないことが確認された」と述べた。
こうした措置は、金委員長が昨年末、バッジの製作を担当する平壌(ピョンヤン)万寿台(マンスデ)創作社に生産の中断を指示し、7月に金日成(キム・イルソン)主席10周忌を迎えて使用中止を強調したことによるものだと、当局者は付け加えた。
これに伴い、金委員長の単独肖像が入ったバッジのほか、金親子の肖像がともに入ったバッジも着用せず、金日成バッジだけを付けている。
しかし住民の多くは依然として金正日バッジを付けていると、政府当局は把握している。 当局者は「バッジと肖像画の撤去は、住民に父(金日成主席)に対する金委員長の孝行心を強調し、対外的なイメージ改善効果も図ろうというもの」と分析した。」(11月25日、中央日報)
やっとバッジの話が出ましたね。この記事はなかなか興味深い。
1,対外関係者が金正日バッジ(親子バッジを含む)をつけなくなり、金日成バッジだけをつけている。
2,金正日バッジの生産自体も中止された。
3,ただし、一般の住民は依然として金正日バッジをつけている。
4,国民に対しては「総書記の親孝行心」の強調と、対外イメージ改善のため金正日バッジをやめた(韓国筋の分析)。
国外に対しては個人崇拝の抑制を見せつつ、国民にタテマエとして親孝行心として強調している、と分析しているのがおもしろい。
今後、金正日の後継者問題がますますクローズアップされていくことだろう。危機的な経済状況を背景に、お家騒動が勃発することも十分予想される。
現在の状況に大きな変化がなければ、もはや金正日バッジは作られないだろう。息子が後継者となっても、もはや新しい指導者肖像バッジは作られることはないかもしれない。金王朝3代肖像バッジの出現は夢となってしまったようだ。金正日勲章も、いつかは作られるかと想像していたが、それもなくなりそうだ。マニアとしては残念なことである。
ここからは、独自の予想をしてみよう。
手持ちの金正日バッジを使い続ける人は、しばらく続くだろうが、製造がなくなった以上、いつかは絶える。
人間のファッションへの欲求というのは、実はすごいものである。より良いモノを装いたい、珍しいモノを身につけたい。人情というより、それは人間の本質であり、どんな社会体制にあっても変わることのない人間の自然な欲求なのだ。社会的生物である人間にとって、装いは社会的地位を現わし、アイデンティティを付加する不可欠のアイテムだからである。かつて文化大革命時代の中国で、異常なほど毛沢東バッジが流行したのは、当時華美な装いが反革命的だとされていたことと重要な関係がある。地味なファッションに一点の彩りを添えるバッジは必須アイテムとなり、複雑化し、多様化し、ありとあらゆるバッジが、毛沢東をテーマとして製造された。
それまで代わり映えのしない金日成バッジ一辺倒であった北朝鮮において、金正日バッジの登場は新鮮な印象を与えたことは想像に難くない。たとえば、硬貨や紙幣の更新に一種似ているかもしれない。なにか新鮮な気分をもたらすではないか。そして新しいモノを早く手に入れたいと思うのも人情だろう。
それが、またなくなる。金正日バッジだけでなく、金親子バッジもなくなるということは、バッジの種類が一気に減少してしまう。そうなると、私の予想は2点である。
まずひとつ。バッジをつける習慣自体が衰退する。少なくとも、そのきっかけになりうる。
ふたつ目は、こちらが当面は可能性が高いのではないかと思っているが、金日成バッジが多様化するのではないか、ということである。金正日バッジがなくなって種類が減った分、金日成バッジがその穴を埋めるように種類が増えるのではないだろうか。今までにない形や肖像のバッジが登場する可能性があると予想する。
いずれにせよ、金正日の後継問題はいずれ解決しなければならないことであり、それが体制に大きな影響を及ぼすかもしれない。拉致問題も相変わらず先が見えないまま、日朝国交正常化など夢のまた夢。今年も北朝鮮問題はどうなるか、一寸先は闇である。今年もどんなことになるか、目が離せない。
では、今年もよろしくお願いします。
(2005年1月2日)