恵谷治著「北朝鮮解体新書」(1997、小学館)を批判する


「北朝鮮解体新書」表紙

 巷間にあふれる北朝鮮通俗本の中でもかなり有名な部類に属するだろう。写真やイラストなどを多用したムック系の本である。北朝鮮マニアを称する人の中でもこの本を下敷きにしたと思われる記述がしばしば見受けられる。まあそこそこ楽しめる本であることは否定しないが、中に書かれている情報は実際かなり怪しい。あえてこのような程度の低い本をムキになって批判するのもオトナゲないが、あえてここではイジワルなツッコミとケナシを楽しんでみたいと思う。

1 世界初!「謎の階級社会」がひとめでわかる金日成&金正日バッジコレクション

 さて、このサイトは「金日成バッヂの世界」を称しているのでまずはその辺から見てみよう。
 「解体新書」p74,75には「世界初!「謎の階級社会」がひとめでわかる金日成&金正日バッジコレクション」と誇らしげなタイトルで掲載されている。
 まず、p74の冒頭に「私が確認した金日成バッジは以下の29種類である」とある。が、金日成バッヂは時代により様々な方が存在するので、「いままで何種類確認した」というのは「現用として流通している種類」とは全く意味が異なり、きわめて誤解を招きやすい表現である。考えてみて欲しい。たとえば、「日本の紙幣には1000,2000,5000,10000円の4種類が存在する」といっても、それは現時点(2001年6月現在)のことにすぎず、ある人が「いや、オレは500円札だって持ってるぞ」などと言いだしたとしたらキリがない。ここに紹介されているバッヂの中にはとっくに過去のものとなったバッヂも混ざっており、それらが現用のバッヂと何の区別もなく紹介されているのには困惑せざるを得ない。

 p74「原寸大現在までに確認されている金日成バッジのすべてとその“階級”」として29種類のバッヂがイラストで紹介されている。イラスト自体は実物を元にして描かれていると思われ、よく描かれているのだが、その解説が問題。なお、@〜Jの分類も、どれだけ根拠のある分類なのかは不明だ。

着用対象としては、それぞれ次のような解説が付されている。
@党旗章「党と政府の幹部が主として着用する最高級章。ただし、一般市民や大学生が着用している場合もあるので注意する必要がある」
A軍服章「軍人、安全員が着用。古いバッジで現在は新タイプがあるものと推定される」
B洋服章「対外関係の担当者たちが着用」
C人民服章「労働者や農民など、一般市民が着用。一般外国人が入手可能な唯一のバッジ」
D国旗章「在日朝鮮総連関係者など在外朝鮮人が着用」
E三大革命小組章「三大革命小組員が着用」
F社青章「金日成社会主義青年同盟加入者、大学生などが着用」
G金日成大学校章「金日成総合大学の学生が着用」
H一心団結章「着用対象は不明」
I星章「着用対象は不明」
J死守章「着用対象は不明。バッジ内には「金日成同志を命をかけて死守しよう」と書かれている」

 改めて読んでみても、どこから突っこんでよいのか迷ってしまうほどひどいが、順番にツブしていこう。一応、バッヂ専門サイトとしては黙っておけないので初めに断っておかねばならないが、厳密には徽章や勲章を身につけることは、「着用」とはいうより、「佩用」とすべきであろう。
@党旗章について「党と政府の幹部が主として着用する最高級章。ただし、一般市民や大学生が着用している場合もあるので注意する必要がある」。
 文章自体が意味不明。結局、着用しているのは誰なんですか?「よくわからない」というのが正確であろう。
B洋服章「対外関係の担当者たちが着用」。
 さて、これも意味不明だ。洋服章(あくまで、著者が勝手に定義した「洋服章」であり、私はこれに賛同しているわけではないので念のため)は、最近ではごく一般的に見られるバッヂであり、「対外関係の担当者」とはとても思えないのが実際だ。まあそれについてはハッキリしたことはいえないので、これ以上の指摘はしないことにする、それにしても「対外関係の担当者」っていったい具体的にどういう人を指しているのか?
 また、「金正日が着用」というバッヂも紹介されているが、たしかにその通りなんだけど、時代によっては違うバッヂをつけている例もあるので、もう少し正確な記述が欲しいところだ。
C人民服章「「労働者や農民など、一般市民が着用。一般外国人が入手可能な唯一のバッジ」。
 さあ問題だ。「一般外国人が入手可能な唯一のバッジ」。さて、どういう意味だろう?北朝鮮国内で入手できるのは、という意味なのかなあ。でも、友人は北朝鮮旅行でしっかりと党旗章を手に入れて帰ってきた実例もあるしなあ。それとも、当局から外国人に対して金日成バッヂを贈られるケースがあり、そういう際にこれらの「人民服章」を贈られる、という意味であろうか。でもそれって本当に「一般」外国人なのか?さっぱりわかんねえよ!
 また、このタイプの中のやや右向きの肖像のバッヂに「最古のバッジと推定」などと、ものすごくデタラメなキャプションをつけているのも衝撃的。いったい何をもってそんなことを推定ができるのかきいてみたいものだ。このスタイルのバッヂよりずっと古いバッヂが存在するのは当サイトでも指摘しているところであるので、認識を改めて欲しいものである(無理か)。

 もういい。次に進もう。
 p75の「金バッジの正しい着用位置」。ここに書かれていることは全くヒドイの一言なので、重点的に否定しておく。デタラメきわまれり、とはまさにこのことだろう。もしこのような規定があるなら、その出典と原文を明示して欲しいと心から願うものである。
 困ったことに、こういう本が出るとそれを参考にして多くの人が「へーそうなのかあ」と納得してしまうことで、無知に基づく誤解が再生産されていく。不幸なスパイラルが形成される。もっとも、不幸といってもそれは私の知ったことではないので、イジワルな私は半ばそれを「ざまあみやがれ」とほくそ笑んでもいる。だが、ここは私のサイトなので、事実を事実として書かせてもらう。

 原文では以下の通りに書かれている。
「肖像バッジは正式の伝達式を経て、人民ひとりひとりに授与される。バッジの着用位置は左胸のポケットより数センチ上右胸は「心臓の上でない」という理由で不可。また、襟は「ひらひらするので首領様がお酔いになる」ため、これもまた不可
 そしてご丁寧にも男女のイラストが描かれ、右胸につけたバッジに×印、左胸につけられたバッヂに○印が付けられているのだ。
「正式の伝達式を経て」というくだりについては、とりあえずここではふれない。どのような式であるのか知りたいものだ(著者も知らないものと推定)。
「バッジの着用位置はポケットより数センチ上」については、数々の写真を見てもおおむね正しいものと思われる(ただし例外も多い)。しかし、あえてイジワルを言えば、中山服スタイルや背広などはよいとして、左胸にポケットがない服の場合(例えばチマチョゴリ姿の女性など)左胸のどこに付けるのか。
 さらに、「右胸は「心臓の上でない」という理由で不可」としょうもないことを書いて自らのバカぶりを読者にさらけ出しているが、著者に問いたい。およそこの世の徽章の類で、右胸に佩用することに決まっている例にはどのようなものがあるのか、と。日本でも、国会議員章であろうと、会社の社員章であろうと、学校の校章であろうと、すべて左胸につけることになっている習慣を知らないのだろう。仮に、外国人が、われわれ日本のサラリーマンについて、「彼らは心臓の上の左胸に社員章をつけている。なんという会社への忠誠心であろうか。さすが会社人間の日本サラリーマンだ」などと書いたりしたらどうであろう。北朝鮮ので行われている習慣をすべて「奇怪で珍奇なもの」と捉えたがる著者のアサマシイ根性が伺える。
 繰り返す。徽章を左胸につける習慣は万国に共通でごく一般的なものである。右胸につけてるってんなら何か特別な理由もあろうかと思うけど。アタマ悪いのかこの人。
 さて、次だ。「襟は「ひらひらするので首領様がお酔いになる」ため、これもまた不可」。
 この記述も信じている人が多いようで、いろんなところでこのくだりを参考にしたと思われる記述が見られるのでイヤになる(内心、ザマアミロなんだが)。無知はこわい。
 初めてこれを読んだときから、漠然と「ホントかな?」と疑念を抱いていたが、改めて北朝鮮の雑誌などをチェックしてあっさり判明した。まあ「首領様がお酔いになるからダメだ」と信じている人が絶対にいないとは限らず、そのような不正確な無責任な説を著者は小耳に挟んでスナオに信じ込んだのかもしれないが、実態はそんなものではないということをここで証拠を挙げて明らかにしておく。


 

(例1) これは「朝鮮画報」1994年1月号、p25ページに掲載された写真。「照明器具連合企業所に派遣された三大革命グループのメンバーたち」の記事である。写真には「メンバーたちは生産工程の現代化、オートメ化について意見を交わす」というキャプションが付されている。左の写真を拡大したものが右のもの。
サワヤカに談笑する青年たちのスーツ襟に金日成バッヂが輝いているのがハッキリと確認できる。これって不敬なの?

(例2)これはもっと決定的といっていいだろう。同じく「朝鮮画報」1994年金日成主席逝去特集号p59に掲載された「在日同胞学生と記念写真を撮る主席」。
 拍手する子供たち。が、男の子たちのスカイブルーの制服の襟には金日成バッヂが・・・。
 「襟につける例もあるかも知れないがそれはあくまで正式な付け方ではない」という反論をする人は、この写真の場合どう考えるのか。子供だから?在日同胞は別?そんなことはないだろう。金日成と同席する状況よりも「正式な」場はないと考えるのが普通ではないのか。おかしいじゃないか!

 念のため断っておくが、これら写真は別に特別なものではないのである。探せばまだまだたくさんの証拠写真が見つかることであろう。手元あるわずか数冊の「朝鮮画報」から抜き出したにすぎない。それでもこれだけ明確な証拠が見つかるのである。問題なのは、数多くのそういった実例に著者がまったく目を向けない、あるいは向けようとしない姿勢である。信憑性に欠ける聞きかじりの情報に無批判にとびつき、固執し、事実を無視するその姿勢である。
 というわけで、わざわざ実例をあげて批判させてもらったが、要はいろんなケースがある、というのが結論である。

2 共産主義社会の「出世」と「栄誉」全図解−朝鮮人民軍「軍事称号」と勲章カタログ

 と、これまた大げさなタイトルで紹介されるのは朝鮮人民軍の階級と勲章の一覧(p54,55)。出世と栄誉、などと書かれているが、実際は人民軍の紹介にすぎないので、著者のアタマには共産主義社会で出世・栄誉といえば軍のことしかないらしい様子が伺える。
「北朝鮮では、階級なき平等社会という建前のため、軍隊にも階級はないことになっており、人民軍将兵の階級は「軍事称号」と呼ばれている。「戦士」と呼ばれる兵士クラスの階級は少なく平等社会のように見える反面、競争によって勝利したものが特権を享受できる制度になっている。これが共産主義的軍隊の特徴であることは、下の表を見れば明白である」
ふーん、そうなんだー(笑)。いやあ、勉強になるなあ。「競争によって勝利したものが特権を享受できる制度」が共産主義的軍隊なら、およそ資本主義世界の企業の人事制度をどう説明したらいいんだろうね。
・・・などという皮肉はおいて、内容の検証に入ろう。

p54の勲章(金日成勲章、共和国英雄章、労働英雄章、1,2,3級国旗勲章、1,2級自由独立勲章、1,2級戦士栄誉勲章、祖国解放戦争勝利40周年記念勲章、軍功メダル、功労メダル2種、祖国解放戦争記念メダル、祖国解放記念メダル、がイラストで掲載されている)だが、これが北朝鮮のすべての勲章だ、と勘違いしている幸せな人がいるといけないので、念のため断っておくが、これは軍関係勲章だけである。それにしては、なんで労働英雄章があるのかはナゾ。これ軍人用じゃないでしょ? 単なる勘違いということで大目に見よう(もっとも、この手の勘違いが全編にわたってちりばめられているのが本書なのだが)。
 「北朝鮮の最高勲章は金日成誕生60周年(1972年)を記念して制定された「金日成勲章」であるが、これは金日成の権威を内外に喧伝した功績に対して授与される勲章で、軍人を対象にしたものではない」
 このくだりも例によってきわめて不正確で、まず金日成勲章の授与対象は個人だけではなく、グループや企業、軍の部隊に対しても与えられる。軍人も対象です。また、イラストで描かれている金日成勲章は1991(あるいは1992年)に制定されたセカンドバージョンであり、それ以前には別のバージョンが存在するので注意が必要である。
 ハッキリ間違いだと指摘できるのが、功労メダル。ここでは軍功メダルがひとつと、功労メダルが2種類紹介されているがこれは間違い。一番左の軍功メダルは1949〜70年代までのタイプであり、その後デザインが変わった。それが右隣の「功労メダル」と紹介されているものである。だから、これは功労メダルじゃなく、現用の「軍功メダル」だ。うーむ、初歩的だなあ。あ、付け加えておけば、功労メダルも軍人用じゃないからね。

最後に著者の紹介を載せておく。(同書の著者紹介より)
「恵谷治(えや・おさむ)1949年東京生まれの尾道育ち。早稲田大学法学部卒業。同大探検部OB。民族紛争・軍事情報に精通するジャーナリスト。著書に『世界「危険情報」大地図鑑』『アフガニスタン最前線』『ソ連軍事情報の読み方』『アブナイ地球の歩き方』『金正日・北朝鮮、権力の実像』『反乱する北朝鮮』など多数」
たった今、これ書いていて初めて知った。このヒト、この程度のレベルで「民族紛争・軍事情報に精通するジャーナリスト」なのかよ! 本当に驚いた。もしかして、この箇所がこの本で最も衝撃的なくだりかも知れない(笑)。


著者の恵谷氏。今後のご活躍を心から期待しています。