関門をめぐる
去年、大河ドラマで武蔵をやったからではないが、関門をめぐり、巌流島や日清講話条約の調査を行った。
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まずは
小倉城。
武蔵がいたこともあった。さらに、2度の長州征伐では現地の幕府の拠点となる。 でも、2回目はだめだったね。 さらに、その後には西南戦争があるが、その時は乃木希典がここの所属。 こういう役回りの城なのだろうか? 負け癖がついたんかなあ。 城内は、日本にあるほかの城と同じようなぼちぼちの展示。 今年は、大河ドラマで新撰組をやってるからだと思うが、特別展示で維新展をしていた。 新撰組のネタが多かったが、小倉城はほとんど関係ないと思います。 ちなみに、特別展示としてびっくりの「八方にらみの虎」 が14年ぶりに展示されていました。 これは、どっから見ても正面を向いているように見えるという恐るべき傑作です。 人間というのは、すさまじいものを創造することができきるものです。 当研究所は、あまり美術品に興味はないが、これは傑作だと思います。 |
![]() 左から |
![]() 正面から |
![]() 右から |
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船を渡り、
巌流島へ。
やる気満々の新人研究員が合流し、所長の助手を務めた。 巌流島は、へらべったい小さな島だ。住人はいない。 ひとたび台風が来れば、全島が波に洗われるだろう。 が、島の一部は、民有地で、クレーン作業場がある。 この決闘の像は、去年の大河ドラマに合わせるように作ったのだが、 なんと、佐々木小次郎の像を先に完成させ、4ヶ月後に武蔵の像を完成せるという芸の細かさ。 ここまでやると、小次郎をバカにしすぎているのでは?という気がしないでもない。 おい、新人研究員、やる気はいいが、恥ずかしいぞ。 |
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下関の街で見かけた看板。 巌流島もそうだが、これも小次郎をバカにしているよな気がしないでもない。 しかし、武蔵も死ぬまでどころか、 400年経っても遅刻呼ばわりされるのは、少し哀れ。 常日頃の行いが重要だと歴史が教えてくれる。 だけど、これ美味いの? あんまり美味そうに感じませんけど・・・ |
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てっさ うまい。伊藤公がふぐを食っていいと布告したらしい。 それまでは正式には食べていなかったとのこと。 すばらしき英断! |
![]() 講話の間 |
![]() 資料館 |
![]() 李鴻章道 |
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さっきのてっさは
春帆楼で食べました。
まさしく、伊藤公と同じ食事を味わったわけだ。 しあわせいっぱい夢いっぱい。 日清講話でもてっさの取りあいをしたのだろう。 がさっと取ったら顰蹙です。 で、本題。 日清講和条約はここ春帆楼で結ばれました。 清国全権大使李鴻章と日本全権の伊藤公との間でやりとりされました。 当時の建物は、建て直されましたが、しっかりと 「講話の間」が存在します。 この日は、しっかりと宴会が入っていたので、残念ながら覗くことは出来ませんでした。 中央は資料館の写真。 資料館は、春帆楼の前に記念館として当時の状況を再現しています。 椅子などの調度品は、当時のままとのこと。 表に出れば、「李鴻章道」という名前の道だった。 |
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